その後のわたし (3)
小学生の頃、Hey! Say! JUMPがデビューして、バレーの試合前に歌って踊ってるのをぼーっと見てたなあ。友達に「涼介がすき」「有岡くんがすき」っていう人が出てきて、もしかして私も嵐すきなのかな?ってふと思った。その辺りではファン同士で繋がるとかそういうこともなく、今でいう『菅田将暉かっこいいよね』みたいなノリで櫻井翔くんかっこいいよね、みたいなのをみんなで話してた気がする。
中学生になって、同じクラスで嵐が好きな子がいて貸してもらって初めてみたのは2010年ツアーの『僕と君の見ている風景』でした。もう圧巻で、こんなに素敵な空間がこの世界には広がっているんだ、、、っていう気持ちでいっぱいだった。それから2009年の10周年のライブをみて、そこからは2012年のライブからは発売して貸してもらって、順々に追いかけいったなあ。徐々に二宮くんの考え方とか、歌声とか、すごく面倒くさくてすごく素敵だなと思って二宮くんが大好きになった。
うちの家は自分でお金稼げないとファンクラブに入るのがダメって言われてたから、ずっとコンサートには行けなくて、お小遣いもすごい少なかったからDVDとかCDも全然買えなかったの。それが悔しくて悔しくて、お母さんにもコンサートの映像とか見せて、お母さんをファンにして、お母さんの名義でコンサート応募するっていうね。今思ったらすごい健気だな。行きたくて行きたくて応募して外れて応募して外れて、やっと行けたのが2013年ツアーの『LOVE』でした。天井席だったし気球飛ばなかったけど、あの空間に居られたことが本当に幸せだった。ドームほぼ1周するくらいの列に早朝から並んで、雪と雨の降る中ふるえながらグッズをゲットしたのはすごく覚えています。
ジャニオタはわかるかもしれないけど、私、ジャニーズ追いかける前何してたのかほとんど記憶が無いの。本当に。
私の人生から嵐を引いたら、なにが残るんだろう。
おこがましいかもしれないけど、そう言い切れるくらい、私は嵐と一緒に生きてきたと思う。
成功した時も、失敗した時も、嬉しかった時も、悲しかった時も、恋をした時も、大きな決断をした時も。私はいつも嵐を聴いてた。嵐を見てた。嵐を応援してるつもりで、いつも応援されてた。
何の保証もないのに、ただ漠然と彼らのことは死ぬまで大好きでいるんだと思っていたし、それが本望だった。いつもありがとう、って感謝して、毎日更新されていく彼らの活動に一喜一憂して、彼らの作品に感動して、彼らの幸せを祈って、同じ気持ちの友達と気持ちを共有して、今後について語り合って。それが本当に楽しくて、幸せでした。
涙が止まらない
その後のわたし (2)
嵐からゆるゆると流れ着いた関ジャニ∞。知れば知るほど面白いこの7人の男たち。そんな彼らに抱いている感情を、メモ程度に書き留めておく。
ズブズブに嵐が好きだったアラシックのわたしも、関ジャニ∞の勢いは感じていたし、メンバーも把握していたし、面白いなって思ってた。でも嵐を超すことはなかった。
「面白いことやってるアイドルだよね」
「新しいアイドルの形って感じ」「西が強い」
「顔かっこいいのにもったいない」
そんな感じ。
興味がないわけではないけど、私には嵐がいるし、二宮くんがいるし、嵐とちょいちょい共演するメンバーかっこいい!(だが主演は嵐)ズッコケ男道ね、はいは~い!って感じ。ドラマはもともと好きだから割と見てるドラマに出てたりしてたけど、そこからファンになるとかは特になかった。でもまあ総合的には好きって感じ。
周りにはエイターが結構いて、お姉ちゃんがDVD借りて帰ってきたこともあったけど、すすんで見たわけじゃなくって、むしろ偶然やってたから見た、って感じ。うーん、要するに、関ジャニ∞が好き!応援したい!好き!!!あああー!ってなる決め手がなかったのかな。ジャニ勉は関ジャニ∞を関ジャニ∞だと把握してたかしてなかったかくらいの頃からやってたら見てたし、中3か高1の時点で関パニは見てて、「丸みを帯びたU字の水槽~♪」にはすでに出会ってたし、仕分けも家族で見てた。彼らの作るバラエティの面白さは編集とか番組頼りではなくって彼ら自身の面白さからなるものだってのも思ってた。錦戸亮と大倉忠義の顔面は嵐の人たちよりも好きだった。でも、嵐が圧倒的優位にあった。嵐の番組にエイトが出てるとすごく面白かったしうれしかった。でも、ファンになるまでにはいかなかった。
_____そんな中、七夕事変が起こるのである。
関ジャニ∞の前に、嵐を好きになった頃の自分を思い出してみる。
一番初めのきっかけは、やはりドラマだったのかな。小さい頃からテレビが大好きで、夜更かししては深夜番組を見てゲラゲラ笑って、よく怒られてた。嵐を嵐と認識せずに各メンバーのことを好きになっていたっていうのが正解なのかな。たぶん1番初めは2007年頃に友達の家で見た鉄コン筋クリートと、花より男子2。鉄コン筋クリートは、話が難しくって、でも面白くて夢中でみた気がする。でも声優が誰とか、そのころ意識してないから二宮くんって知った時は運命すら感じたけどね。花男も毎週見てた。歌も歌えた。Love so sweetは、やっぱり特別な歌。2008年の花男ファイナルは好きすぎて、One Loveはひったすらカラオケで歌っていた記憶がある。(期間限定映画公開記念で花男の映像が流れていたはず)(一番好きだったのは花沢類)
2007~2008って、嵐大襲撃、10周年に突き進むぞ!の時期なのね。宿題くんとか嵐ちゃんとか見始めて、面白いな、櫻井翔くんかっこいいな、って思って流れのままに嵐のファンになったように思う。でも今その頃の自分見たら、全然ファンじゃないよって思う。たぶん今の私がセクゾに抱いている程度の気持ちだったと思う。
嵐が好きだ~!ってなって、でも情報の集め方とかコンサートのこととか、全然知らなくって、「追いかける」っていう方法を知らなかった。 周りにファンの人とかもいなくって、パソコン触り始めて、YouTubeで動画を見つけては見て、っていうのの繰り返しだったかな。それが小5~6くらいでした。
つづく
その後のわたし (1)
時間が経った。いろいろなものを新しく見た、改めて知った。
結論から言うと、
私はアイドルなしでは生きていけない。
かと言って、嵐に戻れる訳では無い。本当はそれが一番いいと思う。でも、今までのような気持ちで、彼らを見ることが出来ない。*1これが降りる、オタ卒だと言われることなのかもしれないな、と思った。
そこでやはり思うのは、関ジャニ∞に降りることだろう。はじめはもともと好きだったエイトの力を借りて、嵐の穴を埋めている状態だったから、私も必死だったし、一気に好きなきもちが高まった。もちろんメンバー7人みんなが好きだし、応援したいとも思う。でもなんだろう、ふと思ったのは、
嵐を応援していたときほどのときめきが足りない。
これは個人の意見だが、〖オタク(ファン)を全うする〗ということは、彼らに自然と金を貢ぐことに繋がる。それ相応の気持ちがアイドルに対してなければ、長期に渡って応援することは難しい。
正直、少し怖くなってしまっている部分もある。完全に降りようと決意していた矢先、大倉忠義の熱愛騒動*2があり、どうやって応援するんだっけな、とふらふらしている。
しかしこの根っからのイケメン好きな私にとって、ジャニーズ帝国の下僕としてジャニーズアイドルたちを応援していくという謎の使命感はつきまとって離れない(というかほぼ無意識のうちにジャニーズのテレビやラジオの番組にチャンネルを合わせたり、新曲が出れば逐一チェックを入れてしまう)。
じゃあどうしよう?
私はどういうやり方で (((クソ事務所の)))アイドルたちを応援していこう?
というか
むしろ嵐から離れたことで嵐へ傾いていた愛がほぼ全てのジャニーズに対して均等に注がれてない??存在尊すぎない??もうわけわかんない!って思っています。
今日はここまで。
アイドル依存(2)
(1)でも書いたように、私は二宮くんの一件から、以前と同じように、二宮くんを、嵐を手放しで応援することができなくなりました。そんなことだけで?と言われることもあります。というかその方が多いくらい。でも、そんなことなのです。それでも、そんなことでも、私のような、生きていく上で必要なことはアイドルから全て与えてもらっているような人間にとっては、死ぬまで応援し続けると信じて疑わなかった私のような人間にとっては、多分、この瞬間だけで言えば、自分の将来がどうとかよりも、もっともっと重大で、辛くて、悲しいことなのだと思います。
8月24日。実家に、あの日が来るまで心から楽しみにしていた受験で応募さえできなかったJaponismのブルーレイディスクが届きました。多分、以前までの私であれば再試がなんだろうと、届いた日に、夜中まで時間がかかろうが、みたはずです。でも結局その日は当分来ませんでした。
ここで、嵐さんから関ジャニ∞へ移りそうな自分の気持ちを考えてみたい。
多分私は、やる気とか生きていく上で活力になるようなこと、感動すること、そういったものを充足する上で、アイドルが必要不可欠になっているのだと思います。きっと嵐から気持ちが離れそうになった時に、他に打ち込めるようなものがアイドル以外であれば、そちらに気持ちも、時間も、お金もかけられるようになっていたのだと思います。でも私は怖かった。ジャニーズが大好きな私自身を否定するのも、私が二宮くんを大好きだと信じて疑わない人たちに愛想笑いするのも、ジャニーズが好きで繋がった友達を失うのもアイドル以外の新しい、いわゆる代わりを見つけて楽しくなるのも。「今まで」を否定するのが嫌でした。本当はこういう風には考えたくはないんだけど、ある意味私は逃げたんだと思います。ジャニーズが好きな自分を否定することから逃げました。関ジャニ∞は知れば知るほど好きになります。彼らへの愛も、私の中では嵐と同じように注いでいます。でも、多分、その時に興味のある何かであれば誰でもよかったのかもしれません。アイドルなんて虚像だってことは、きっとファンはみんなわかっているつもりなのです。それでもみんな、信じたくなるのです。かっこよくて、個性的で、何でもこなせる彼らに、夢も希望も期待も、背負わせたくなるのです。
つづく
アイドル依存(1)
新生活がスタートし、忙しい忙しい上半期の生活と並行してオタクとしての生活も確立されてきた7月。事件は起きた、、、
二宮 熱愛
ああ、またか…とか夏の風物詩とかいう人もいるけど、やっぱり心中穏やかではいられない私がいた。最初は七夕だったな、たしか。なんか、うん。やっぱり何回目でも慣れることはないし、本来慣れるべきものではないんだろうなっていうのを再確認しました。
だいすきなのに、ほんとうに…?という気持ちが先行して、私たちの思い描いていた彼とのギャップを受け入れられないファン心。今回のことは、公式の発表がされる前にファンの人がどんどん足跡見つけちゃって、いや、もう否定も何も本当のところが知りたいだけなのに担当者はいつまでも不在。
最初はすこし、無理してでも彼のことを受け入れようって思いました。10年近く彼を応援してきて、ちょっとやそっとじゃ彼への思いは変わらないって思っていたから。FNS夏のうた祭りで、彼の素敵なところも見れた。でもなんだか、直視できなかった。ホンマでっかTVで、結婚のこと聞かれた時、顔を真っ赤にしてしまう彼のこと、本当に応援していたつもりだったのに、不信感と嫌悪感が募ってしまったことがすごくショックでした。
「アイドルなんてただの虚像だよ」って三宅健くんが言っていたけど、そりゃそうだってわかっていたつもりだけど。私は割と二宮くんはそんなにオンオフ激しくなくて、TVで見るような二宮くん、みんなの、キラキラしたら二宮くんであってほしいって望んでしまっていたのかな、と少し反省しました。
ジャニーズ好きになると、日々更新される情報を楽しみに生きてる気がする。もうそれは生活の一部だし、新しい活動や定期的な活動を喜んだり楽しんだりすることで、成り立っていくように意図せずして組み込まれていく。翔ちゃんも二宮くんも、俺らを生活の中心にしてほしくないって言っていたけど、実際そうなっている人は少なくないはず。
でも今、少し二宮くんから遠ざかっている気がします。
過労死だけは勘弁
「こんなに幸せで大丈夫??????」
多分同じ想いの人(特に二宮担)は大勢いると思う。いやでも、このフィーバーの最初の方は
うわ!また来たよ!ヤッターーーーー!
みたいな