「アイドル」とは何かを考える。
(非公式)ジャニーズ楽曲大賞の発表が先ほど終わりました。関ジャニ∞、アルバム「ジャム」は本当に名盤だと思うので改めてお知らせしたい。順位云々はまあ置いておいて、楽曲に寄せられたコメントを読みつつ、オタクの熱量をギュンギュンに感じた。
ここまで多くの人の心を掴んで離さない
アイドルって何なんだろうね。
なんて思ったりしている。
ドルオタとして生きてきてから何度も何度も考えてきたこの問題。この感情から逃げたくなくて、答えなんてすぐに出るものではないっていうことも分かっていて、でも、どこかに書き殴っていないとやっていられないので書き残します。※根拠のない数多くいる中のひとりのオタクの考えであることをお忘れなきよう。
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アイドルを語源と時代から考える
<idol>
名詞ー
(崇拝の対象としての)偶像;崇拝されるもの,アイドル<idle>
形容詞ー怠惰な
『アイドル』の語源『idle』が「怠惰な」だという意味だと知ったのは2.3年前の大学受験の時期でした。名詞『idol』では崇拝の対象であり、現実には存在しない偶像。しかし形容詞『idle』では「怠けた」「怠惰な」なんて矛盾だらけ。
「怠けた神」とは。
70年代から華の80年代、アイドルが続々と現れた時期。当時のアイドルって、スーパースターだったのかもしれない。
努力は見せない。
圧倒的に他者(一般人)との差別化が図られていて、
歌ってるだけで、笑顔を見せるだけでいい。
ほんのひと握りのスターたちは、それだけでいい。
きっと、そういう時代。
怠けた、という意味の「idle」を用いた人の気持ちを考えた。一般人が死ぬ気で働いてる事との比較として「笑ったり・歌ったり」すること自体が働くことであったという彼らへの皮肉めいた言葉として、「アイドル」が使われたのかもしれない。(以下の「怠けた」という表現は尊敬の意味も込め使用する。)
この時代は、普通の女の子(男の子)が努力して勝ち取ったシンデレラストーリーよりも、アイドルになるために生まれてきた女の子(男の子)を、それこそ「偶像崇拝」する時代だったように思います。
努力もしないで、スターになるなんて!
少しのジェラシーを持ちながら、そんな可愛らしい「怠けた神様」に憧れ、胸を焦がす。
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多様化するアイドル
踊る・歌うを基本としているであろうジャニーズ事務所内でも「バンドスタイルのアイドル」がいたり、女性アイドルはおニャン子クラブを筆頭にグループ化したり、身近な存在であることを表す「会いに行けるアイドル」が出現したり。アイドルの形態の多様化はとどまるところを知らない。
アイドルの在り方も実に多様化し、元来の「怠けた神」として崇め奉られるアイドルもいれば、あえて失敗したり苦悩する様子をメイキング映像で流すなど「努力」している様子をファンと共有しながら応援され成長するアイドルもいる。
形態・売り出し方は様々でも、共通項を括っていけば「アイドルの本質」に近づけるのではないだろうかという安直な考えをした。
・アイドルは人間である。
あ。もしかしたらこれなのかもしれないな、とひとつめで思った。私たちを掴んで離さないのは、アイドルが人間でありまた、彼らを応援する私たちも人間であるからなのかもしれない。
他にも羅列すると、
・アイドルは美しい
・アイドルは歳をとる
・アイドルは成長する
がある。これらを全部、「人間であるから」と収束させてもおかしくはない。
アイドルは完璧ではないのだ。人間だから。
私たちの毎日が他の誰とも同じでないように、彼らの毎日も誰とも同じでない。でも私たちの毎日とは結構違う。それが面白い。
また、アイドルとしてその地位を確立している人間に共通して言えることのひとつとして、「秀でた才能の持ち主」であるということは言える。
歌唱スキルであったりダンスであったり、顔の造形美であったり、才能の種類としてはいくらでもあると思う。それは時に「秀でる物が特にない」ということもカウントされるように思う。「何も無い」というコンプレックスの中で努力を続けるとか、そんな中でもデビューしたその幸運であるとか、そんなのも全部才能なんじゃないかななんて思います。
グループのアイドルの面白さとしては個の才能と才能がぶつかり合って出来たグループとしての形が非常にユニークである、という所。ひとつでも輝く才能が、何個も集まることで輝きを増したり、見たこともない色になったり。予測できない面白さがある。
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アイドルの本質
アイドルの本質。知った気になって、一緒に背負わせてくれるところ。」
今見返して、「その通りだな」と思う。でも、「それだけじゃないな」って思う。アイドルについて考えたり、泣きながらVS嵐をみたり - じゃがいもはうまい
原点に立ち返って、やはり偶像であるんだろうなと。でも確かに普段は人間なんだ、同じなんだよ。
嵐 二宮和也が15周年ハワイで語った言葉。
「普通の男の子たちがある一定の条件を満たすと神格化する、その一定の条件にコンサートが含まれている」
ああ、この人には本当に敵わない。心を掴んで離さない。
私たちと何ら変わりない人間が、特別な時間において崇拝の対象となる(神格化する)瞬間が、アイドルなのか。刹那的な現象だから、アイドルは偶像であるのかもしれないな。
人間であるという共感と、アイドルとファンであるという確かな境界。その越えられない境界に夢や希望を託してしまう。私たちをアイドルオタクたらしめる。
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最後に
私にとってのアイドルは、届きそうで届かない憧れかつ親近感の湧く存在です。ここまで延々と考察をしておいてなんですが、やはり明確に言葉で言い表すのは難しい。そして応援しているアイドルによって、またその人の応援の仕方によって、
正直、アイドルの定義は全く異なるものだと思いました。
応援する側の自由と、その中で見解の相違があっても、「アイドル」が「アイドル」として存在するために「アイドル」は虚像であり偶像でなくてはならないのかもしれない。
アイドルになりたての時期の方が意外とアイドルの定義は本人の中ではっきりしているのかもしれない。アイドルとして生きながら、迷ったり悩んだりして立ち止まり、アイドルが何なのかを考える日もあるだろう。その問いかけに対する正解は多分なくて、アイドルとして生きていく中で見つけるしかないのかもしれない。
「アイドルが何なのか」を考えて、推し自身が納得のいく答えを一緒に探していきたいと思い、これからも応援していきたいという思いに纏まりましたので、今日はここらへんで失礼致します。