じゃがいもはうまい

ジャニオタの独り言・戯言シリーズ

オタ卒という言葉が頭から離れない

2018年11月30日。

正式に友人の推しGが解体された。

彼らの一件をいちオタクとして追って、脳裏に、今までよりもずっとはっきりとした輪郭で浮かんだ言葉は「オタ卒」だった。

そしてそれをポロッとその友人にこぼしてしまった。

 

以下友人とのトークに垂れ流した今の私の気持ちを、忘れないためにもそのまま書き残しておく。

 

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オタ卒自体は(キンプリ〜ジュニアに落ちた)この1年もその前からもずっと頭の隅にあったのですがなぜこのタイミングで言葉にしたのかといいますと円盤等を買うこと、録画をすることを自分の中で義務のように感じてしまっているというのを何となくずっと思っていたからでした。
そして逆に自分がそれらを買わないということに対して罪悪感、嫌悪感を抱いてしまっているという気持ちに気づいているためです。
そして今回の一件を受けて、明確に推しが定まっていないことについて、またオタクをやる熱量について考えていました。
誰かのことを大好きで応援したいという気持ちが、1人やひとつのグループにおさまっていないことは特に気にすることではないと思うのです。
問題は、過去の自分との比較です。
私は小学校高学年頃よりジャニーズが好きでした。そして中高と立派に現在のオタクの基礎となる価値観(オタク観)を養ってまいりました。
当時は自分で自由に使えるお金というのはほとんど無かったため、アイドルに対しては純粋な「好き」という気持ちで応援することが彼らにとっても利益になるという考えでもありました。
その頃はずっと嵐の二宮和也くんが好きでした。
私は一体誰を、いや、何を応援しているのか。
何に時間を割いて何にお金を使っているのか。
確かに得られるものもあります。
しかしそれは自分の為になるものなのか、
葛藤は常にあります。
あの頃の熱量が分散して色々なところに向いているという考え方もできますが、いざ意見を言いたい時に自担他担の概念が生じることは少なくありません。
「他担のくせに、新規のくせに」
そういう言葉が頭の中で反芻し、苦しいと感じることが増えました。


自分の生活が忙しすぎる時、私は若干のジャニーズ離れをする傾向にあります。
受験直前、大学入学当初、そして今。
自然と摂取しなくなる時期を経験している今、オタクでなくなることは意識しなくても訪れるということが明確であり、正直怖い。
ジャニーズはきっとずっとなんとなく好きだとは思う。
でももし、大好きな彼らに向けている感情が他の近くの誰かとも感じられるならば、私はそれでもいいなと思うのです。
本当は見届けたいことも沢山ある。
嵐の20周年も関ジャニ∞の15周年もKing&Princeが6人でドームに国立に駆け上がる姿も、ジャニーズみんなでオリンピックどんなことするのかも、SixTONESSnow ManTravis Japanも、頑張ってるジュニアみんながデビューするのも。

 

夢見た未来が叶う瞬間も。

涙で滲む約束を果たす時も。

覚悟した今も。

本当はずっと見届けたい。

でもこれは、アイドルを、他人を応援するためだけじゃなくて、私のための人生でもあるから。
欲張りな私は全部全部一緒に見ていたいけど、
いつかきっと何かを諦める時くるから。


そんな気持ちで、ポロッとオタ卒なんて口走りました。


まとまりのない文章を垂れ流して申し訳ございません。

 

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