じゃがいもはうまい

ジャニオタの独り言・戯言シリーズ

彼にとってファンは「外野」だったのか

2018年4月12日 二宮和也に関する事柄(以下あれ)、と書けば十分だと思うので割愛させていただく。別にあれが事実であるかとかはまあ置いておきたい。事実であるのだろうということにして話を進める。

 

以下は、私の気持ちを吐き出しているだけなので異論反論あるかもしれないが、そっと見守ってほしい。

 

夕方、Twitterのトレンドに上がった名前を見て、嫌な予感しかしなかった。

2016年の七夕の傷が少しずつ少しずつ癒えてきた矢先のことだった。先に控えているドラマや映画、それに付随して行われる番宣だって、すごく楽しみにしていたのにね。

 

私はどう感じるんだろう、と自分自身を客観視できたのは翌日の昼頃からだった。

それまではひたすら「二宮」で検索をし続け、私の感情を代弁してくれている呟きを探した。私の気持ちにぴったりと当てはまるものは結局なかった。

当事者を除いて行われる主張でタイムラインは埋まっていた。今の彼は多分、私たちがどう思っていても何も感じないと思う。知らないけど。反対されればされるほど、燃え上がる恋なんだろうね。知らんけど。

だから本当は、私は何も言ってやりたくない。でも自分の中では消化しきれない思いが確かにあるから、こっそりと書くよ。

 

正直な所数日経って、何かもうどうでもいい気がしてきてしまった。

七夕事変(勝手に呼んでる)の時、擁護されていた二宮くん。二宮くんがそこまでして守りたかったものは何なのでしょうか。私には正直分かりません。私、心は広い方だと思っているんだけど、二宮くんのおそらく大好きな人のこと、少しも好きになれません。今まで二宮くんが好きなものを素敵だなって思ったり、あなたの選ぶ言葉に影響されたり、アイドルとしての在り方であったり、嵐がすごく好きだったり。すごく尊敬していたし、何だって好きだったから肯定してこれた。恋は盲目と初めて言った人はすごいね。

二宮くんもそうなのかな。好きな人の好きなもの、意志、行動、態度、その全てを尊重しているのかな。すごいね、大恋愛なんじゃない?笑 そりゃそうか、結婚を考えるんだもんね。

二宮くんの言動がちょっと怖くなった(と私は感じた)のは、彼女を守るためだったのかな。冷静沈着に見える二宮くんなのに、珍しいなあと思いました。ファンの人にちょっと当たりが強いなあ、とも。

 

今回の一件でさえ、二宮くんらしいなあって何度か思った。勝負に出たのかもなって。ドラマ、映画が立て続けにある今年、記事が出たあとの売上とか視聴率とかそれが悪くなければ結婚に踏み切れるのでは?とかね。なんてったって「嵐の頭脳」ですよ。「最も効率のいい方法で目標を達成する」男ですよ。まあ、まさか天秤にかけるものがそれだとは誰も思ってなかったですけども。

 

FCの更新が2月だから、もったいなくて今はやめてやんない。2年前からズルズルと二宮くんのこと好きな気持ちより二宮くんってなに考えてるんだろって気持ちで見ています。だからまあ、ショックはショックだったけど、(正直笑えないくらいショックだったしあの日どうやって過ごしてたか全然覚えてない)私たちには知る由もない部分で彼女はすごい二宮くんに合ってる女なのかもしれない(信じたくはない)、とか適当な理由をつけて自己防衛をしている。

包み隠さず吐き出すと、彼女の虚栄心を満たすために二宮くんが今最適なのだとしたら、嵐の人気が(彼女のせいで)めちゃめちゃ落ちてしまったら彼女はそれで満たされなくなって別れるのかな、とは思ってる。(ここで脳内リピートされるグータンヌーボ「浮気しても帰ってきてくれたらいい」で振り出しに戻る)

こうしている間にも彼女の卵子は老化していくから、できるだけ早く事を済ませないとねっ二宮くん!(全然笑ってない)

好きな人が待ってる所に、おそらく相手が好むであろう自分のとは違う種類の飲み物を持っていく時、そんな顔するんですね、ははっ。

好きなアーティストを「二宮和也」から変更する画面に進んだ。五人の名前が並べられて、もちろんみんな好きだけど、何故か他の人を選べなかった。分からない。こうなってくるともう意地かもしれない。彼からもらったものが大きすぎて、全部を捨てる勇気がない。恋愛も結婚も喜ばしいことなのに、喜んであげられなくてごめんなさい。

あなたの選択が間違ってるとか、そんなの言う資格はないと思うので言いません。でも、ファンを6人目の嵐だって言ってくれた二宮くんが大好きでした。

今後どうするかはもう少し考えて行きたいなと思っています。 いっそ瀕死にするならトドメを刺して欲しい。

 

(タイトルはAttack it!より)

「アイドル」とは何かを考える。

(非公式)ジャニーズ楽曲大賞の発表が先ほど終わりました。関ジャニ∞、アルバム「ジャム」は本当に名盤だと思うので改めてお知らせしたい。順位云々はまあ置いておいて、楽曲に寄せられたコメントを読みつつ、オタクの熱量をギュンギュンに感じた。

 

ここまで多くの人の心を掴んで離さない

アイドルって何なんだろうね。

なんて思ったりしている。

 

ドルオタとして生きてきてから何度も何度も考えてきたこの問題。この感情から逃げたくなくて、答えなんてすぐに出るものではないっていうことも分かっていて、でも、どこかに書き殴っていないとやっていられないので書き残します。※根拠のない数多くいる中のひとりのオタクの考えであることをお忘れなきよう。

 

  •  アイドルを語源と時代から考える

<idol>
名詞ー
(崇拝の対象としての)偶像;崇拝されるもの,アイドル

<idle>

形容詞ー怠惰な

『アイドル』の語源『idle』が「怠惰な」だという意味だと知ったのは2.3年前の大学受験の時期でした。名詞『idol』では崇拝の対象であり、現実には存在しない偶像。しかし形容詞『idle』では「怠けた」「怠惰な」なんて矛盾だらけ。

 

「怠けた神」とは。 

 

70年代から華の80年代、アイドルが続々と現れた時期。当時のアイドルって、スーパースターだったのかもしれない。 

努力は見せない。

圧倒的に他者(一般人)との差別化が図られていて、

歌ってるだけで、笑顔を見せるだけでいい。

ほんのひと握りのスターたちは、それだけでいい。

きっと、そういう時代。

 

怠けた、という意味の「idle」を用いた人の気持ちを考えた。一般人が死ぬ気で働いてる事との比較として「笑ったり・歌ったり」すること自体が働くことであったという彼らへの皮肉めいた言葉として、「アイドル」が使われたのかもしれない。(以下の「怠けた」という表現は尊敬の意味も込め使用する。)

この時代は、普通の女の子(男の子)が努力して勝ち取ったシンデレラストーリーよりも、アイドルになるために生まれてきた女の子(男の子)を、それこそ「偶像崇拝」する時代だったように思います。

努力もしないで、スターになるなんて!

少しのジェラシーを持ちながら、そんな可愛らしい「怠けた神様」に憧れ、胸を焦がす。

 

  • 多様化するアイドル

踊る・歌うを基本としているであろうジャニーズ事務所内でも「バンドスタイルのアイドル」がいたり、女性アイドルはおニャン子クラブを筆頭にグループ化したり、身近な存在であることを表す「会いに行けるアイドル」が出現したり。アイドルの形態の多様化はとどまるところを知らない。

アイドルの在り方も実に多様化し、元来の「怠けた神」として崇め奉られるアイドルもいれば、あえて失敗したり苦悩する様子をメイキング映像で流すなど「努力」している様子をファンと共有しながら応援され成長するアイドルもいる。

形態・売り出し方は様々でも、共通項を括っていけば「アイドルの本質」に近づけるのではないだろうかという安直な考えをした。

・アイドルは人間である。

あ。もしかしたらこれなのかもしれないな、とひとつめで思った。私たちを掴んで離さないのは、アイドルが人間でありまた、彼らを応援する私たちも人間であるからなのかもしれない。

他にも羅列すると、

・アイドルは美しい

・アイドルは歳をとる

・アイドルは成長する

がある。これらを全部、「人間であるから」と収束させてもおかしくはない。

アイドルは完璧ではないのだ。人間だから。

私たちの毎日が他の誰とも同じでないように、彼らの毎日も誰とも同じでない。でも私たちの毎日とは結構違う。それが面白い。

 

また、アイドルとしてその地位を確立している人間に共通して言えることのひとつとして、「秀でた才能の持ち主」であるということは言える。

歌唱スキルであったりダンスであったり、顔の造形美であったり、才能の種類としてはいくらでもあると思う。それは時に「秀でる物が特にない」ということもカウントされるように思う。「何も無い」というコンプレックスの中で努力を続けるとか、そんな中でもデビューしたその幸運であるとか、そんなのも全部才能なんじゃないかななんて思います。

グループのアイドルの面白さとしては個の才能と才能がぶつかり合って出来たグループとしての形が非常にユニークである、という所。ひとつでも輝く才能が、何個も集まることで輝きを増したり、見たこともない色になったり。予測できない面白さがある。

 

  • アイドルの本質

アイドルの本質。知った気になって、一緒に背負わせてくれるところ。」
今見返して、「その通りだな」と思う。でも、「それだけじゃないな」って思う。アイドルについて考えたり、泣きながらVS嵐をみたり - じゃがいもはうまい

原点に立ち返って、やはり偶像であるんだろうなと。でも確かに普段は人間なんだ、同じなんだよ。 

二宮和也が15周年ハワイで語った言葉。

「普通の男の子たちがある一定の条件を満たすと神格化する、その一定の条件にコンサートが含まれている」

ああ、この人には本当に敵わない。心を掴んで離さない。

私たちと何ら変わりない人間が、特別な時間において崇拝の対象となる(神格化する)瞬間が、アイドルなのか。刹那的な現象だから、アイドルは偶像であるのかもしれないな。

人間であるという共感と、アイドルとファンであるという確かな境界。その越えられない境界に夢や希望を託してしまう。私たちをアイドルオタクたらしめる。

 

  • 最後に

私にとってのアイドルは、届きそうで届かない憧れかつ親近感の湧く存在です。ここまで延々と考察をしておいてなんですが、やはり明確に言葉で言い表すのは難しい。そして応援しているアイドルによって、またその人の応援の仕方によって、

正直、アイドルの定義は全く異なるものだと思いました。

応援する側の自由と、その中で見解の相違があっても、「アイド」が「アイドル」として存在するために「アイドル」は虚像であり偶像でなくてはならないのかもしれない。

アイドルになりたての時期の方が意外とアイドルの定義は本人の中ではっきりしているのかもしれない。アイドルとして生きながら、迷ったり悩んだりして立ち止まり、アイドルが何なのかを考える日もあるだろう。その問いかけに対する正解は多分なくて、アイドルとして生きていく中で見つけるしかないのかもしれない。

 

「アイドルが何なのか」を考えて、推し自身が納得のいく答えを一緒に探していきたいと思い、これからも応援していきたいという思いに纏まりましたので、今日はここらへんで失礼致します。

関ジャニ∞を好きになって夏が好きになった

暑い、焼ける、汗をかく。

わたしは根っからのインドアで、自らを犠牲にしてまで夏のイベントに繰り出すようなタイプじゃなかった。むしろクーラーガンガンの部屋で過ごす誰にも邪魔されない休みは至福…!というタイプ。(夏から秋にかけて涼しくなる時期の切ない感じはすごく好き)

そんなわたしが最近、夏がいいなあって思ってるのはもしかして関ジャニ∞と関係があるんじゃないかなあってふと思って、書きなぐっています。根拠もなーんにも無いけどね!

わたしは元からジャニオタだったのでレギュラー番組は見てたり予備知識はあったものの、本格的に関ジャニ∞沼に引きずりこまれていったのは去年の今頃でした。
ドラマONで東海林先輩に萌え死んでいたちょうど一年前。ついに私は、あの曲に出会います。

来たぜ夏!来たれ SUN SUN 水着ーナ!

……

真夏の俺らは罪・罪・罪なのさ!

……!

今、君の八月の全てくれないか?

…!!!!!!!

天才なの?


これぞ関ジャニ∞の真骨頂、ちょっとチャラめのお兄ちゃんソングっっっ、、、、、と歌詞をすぐに調べ、噛み締めていたのを思い出しました。

暑い夏。服の厚さも面積も減っていくにつれて開放的な気持ちになるのもわかる。でもそんな感じで浮かれている人たちをどこか俯瞰して見てしまっていた自分がいた。わたしはそっちの人間じゃないな〜なんて思ってました。

「いやもうほんと、そっち側入れて??」


というかあまり触れられてきてないように思うから言うけどタイトルから最高だと思いませんか?????おそらく「罪と罰」をもじった「罪と夏」って……!!!はぁ、たのしい。

年がら年中彼らに捧げているファンに改めていう「八月の全てくれないか?」の破壊力たるや…!

季節系の歌が多分個人的に好きなのもあると思うんですけど、夏の歌ってよくないですか????勝手に思ってるのは大体に2パターンあって、①夏到来!騒ぐぜ!なパリピ曲②夏が終わる!切なすぎるぜ曲なんですね。あまり深く知らなかった時期は、関ジャニ∞は完全に①のパターンが最高に合ってる!夏=関ジャニ∞!たのしい!ワッショイ!みたいな印象だったんですけども。気づくのに時間はかからなかった。

いや、切ない曲もやばいな。

②は、蒼写真かなあ…。本当に大好きな曲です。

これ関ジャニ∞の印象自体もこういう所あって、ワイワイ楽しいグループだと思って好きになったらバンド、ハモのうまさ、めっちゃどストレートにアイドルしてるところで骨抜きにされるっていう…。

ブラックホール系アイドルかな(?)


①のパターンはジェットコースターで②のパターンは線香花火って感じです。(伝わらない)

嵐は②のパターンの方が印象強い感じがある!②は夏の終わりに想うこと夏の名前、風とかで、①花火、サマスプ、らっきーまんとかかな!どうしても正統派な歌になりがちなのかなあ?いい曲はあるし楽しいんだけど…!嵐さんは別れてそのまま引きずって、秋が近づいてきて涼しくなってきた時期に、暑い!アイス食べよ!って夜中にコンビニまで競走したこととか思い出して感傷に浸ってほしくないですか????(うるさい)ちゃんと付き合ってたくさん思い出もあって、ってのが嵐さんで、遊び慣れた男の子で遊びなのかな、夏が終わったらお別れかな、なんてヒヤヒヤしながら若さゆえに最高に楽しんでるのがエイトかな〜!夏だけで言うなれば、関ジャニ∞と恋がしたいなってね!


さて話は戻ります。この話がしたかったんで
す。本当に。2017.6.28にリリースされましたアルバム「ジャム」。ツアーも始まっておりますが、、、



JAM LADY やばくない?(いろんな意味で)

いやほんとに、最初に聴いた日から友達と話し合いたかった。作詞作曲が我らが安田章大なわけですが、わたしやすくんの作る曲ハマりがちなんですよね、ほんと脳内麻薬感すごい。聴いただけではちょっとエッチな曲だな♡みたいな。え〜すごいすき〜〜!ってなりました。(ジャムはどの曲聴いてもこうなったけど)
Never say neverとのギャップがすごすぎてヤスの言葉の使い方上手いなあとか、語彙力すごくない???って。

とりあえず韻踏みまくりで語感大切にしてるのがほんとヤス…!めっちゃいいやん!(にやにや)って歌詞を見て目ん玉とれるかと思った。

(※各自調べてください、、)

中学生かよ〜!!笑(すごい褒めてる)

いやほんとにライブたのしいだろうなこの曲!、って思います。

わたしは亮ちゃんのオゲレツのくだりがすごい好きです、声がすごい合ってるなあ〜って!
もちろん丸ちゃんの「囁く声に」「跨るオレに」の高低差にはやられた。
いや、ほんと聴けば聴くほどハマるパターンです。

メンバーが作る曲はパート分けの精度っていうんですかね、親和度みたいなのがすごい高いと思っていてさいこうです。
(ここだけの話、寝起きの悪いわたしだけど目覚ましをJAM LADYにしてから寝坊率が激減した…)

なんて言えばいいかわからないんだけどちょっとこの頭がよわい感じ…?下半身で生きてる(言い過ぎ)感じ??

きらいじゃない…。

これを夏の曲と定義するならば一言で言えば最高かな?と。やんちゃな男の子最高かな?

年がら年中このテンションだとしんどいかもしれないけど、この時期聴くからより良いのかもしれない…。奥が深いな。たのしい


まさか二年連続で夏が楽しくなる曲を関ジャニ∞が歌ってくれると思わなかった!!!十祭を見てから純情恋花火が大好きだし、浮かれたイベントも楽しまないと損するぞ〜ってね!

本当にエイトありがとう!って思ったので書きました。ありがとう。

アイドルについて考えたり、泣きながらVS嵐をみたり

最近、やたら熱愛報道が出る。週刊誌に撮られる、相手が匂わせる、自分が匂わせる。SNSを使うのが当たり前になった時代だから漏れるのは当たり前だ、なんて思ってほしくない。

アイドルだから恋愛しちゃいけないなんて言わない。

私がアイドルや芸能人に求めていることは、リアルな、リアルすぎるプライベートじゃない。届きそうで届かない場所で、自分にはできないことをして、素敵だなって思わせてほしい。時にファンを思う発言をして、上手く「好き」を続けさせてほしい。彼らに大きな仕事が入った時、自分のことのように喜ばせてほしい。まるで自分が彼らの原動力になっているかのように、錯覚させてほしい。自分に辛いことがあった時、いつでも帰ってくる場所はここだよって思わせてほしい。

メディアも少しは考えろ、なんて上からしか物を言えないことを許してほしい。多くの人が興味を持つことは、下世話なネタだけなのか。大多数の人が悲しみ、少数の人しか喜ばないネタを公にする必要はあるのか。アイドルだって体が資本だとわかっているなら、自分の言動が商品価値に直結していることもしっかり考えてほしい。

 

そんなことをずっと考えていた。

 

嵐が好きなのかわからなくなった時、関ジャニ∞に熱が入った。

その頃書き殴ったメモが残っていた。

「アイドルの本質。知った気になって、一緒に背負わせてくれるところ。」

今見返して、「その通りだな」と思う。でも、「それだけじゃないな」って思う。

嵐を応援する意味を見出せなかった。

大ちゃんのパグ事件の直後のBLAST Miyagi。大ちゃんを心配していた私は、[不安そうな表情の大ちゃんににのが話しかけて笑顔になる。にのありがとう。]という感じのレポを読んで、嵐ってすごいな、やっぱり最高だなって確かに思っていたのを思い出した。でもその公演にも伊藤綾子はいて、それまでのコンサートだって、メンバーの彼女が来たりしていたのかもしれないけど、ああ、笑っていたのも彼女のためだったのかな、なんて必要ないことまで考えてしまって。メンバー二人がここまで目立った行動してるのに何もしないの?嵐ってみんなそうなの?とかね。

楽しかった嬉しかった思い出も、どんどんどんどん信じられなくなっていった。それまでは何の疑いもなく、自分に対してプラスのエネルギーしか与えていなかった存在が突然、自分を不安にさせたり、傷つける要因に変わってしまった。

だから私は、大好きだった5人を真剣に見るのをやめた。

元々私自身、自分を傷つける要因はうまく避けるようにしてきたし、自分がどうにかして変えてやろう、なんて気力のいることを率先してやるようなタイプではない。だから一番簡単にできる行動をしたまでだったのだろう。この辺りから俯瞰して彼らを見れるようになり、いろんなことを感じたし、いろんな意見を素直に受け入れられるようになった。彼らの些細な言動に、不安になっているファンは悲しみ、怒り、時に離れていった。でもそれは嵐だけじゃなくて、他Gでもたくさん起こっていて、やはり多くのファンが不安になるのは熱愛が出た後の時期からだった。(微妙な言動に不信感を持つことも見られるが、表に感情を出すのは熱愛報道の後が多いと思う)

 

関ジャニ∞にお世話になってから、嵐との相違点だったりメンバーの関係性だったりをたくさん知った。好きな人の新しいことを知るのは改めて面白いなと思った。

 

そんなこんなで、今に至る、というところでいつも力尽きてしまうのだが、がんばるぞ。

 

「嵐のトークは面白い」と思い続けてここまで来た。もちろん技術は高いし、総合的に面白くまとまっているし、キャラが分かりやすい。優秀でオールラウンダー型な感じがする。ただ、関西のお兄さんたちを見てしまうと、もうなんだかもう、次から次へとくる消化しきれないほどのボケとツッコミが欲しくてたまらなくなる。欲張りでごめんなさい。番組の録画はいつか後悔してはいけないと思い、怠らなかったけど、VS嵐はあまり見なかった。でもなんか、うん、視聴者というよりは、番宣番組。ゲストおもてなし番組感がすごいなって思ってしまう自分がいて、あんまり見なくなっちゃった。見ててもぼーっとしててあんまり内容覚えてなかったりとか。あ、編集とダビングはがんばっていますよ。

 

そんな私が、ひっっっっっさしぶりに見よう!という意志をはっきり持って見たのが先日のPerfume回だったのです。なんで見ようと思ったのかは、私がPerfume×嵐の組み合わせが好きで、十二分に実力のあるPerfumeが、嵐を超リスペクトしてるのとか、まあ総じてPerfume好きという安直な理由なのですが。まあ、そんなこんなで見ました。ひっさびさに二宮くんをちゃんと視界に入れた。もう、あの、現役じゃない感が否めないんですけどゲームの名前がすぐ出てこない。あの、壁、登るやつ(調べた、クリフクライムや)。末ズや~と思った。でも二宮くんあんまりこのゲーム得意じゃないよね、うんうんって思った。でもすごいがんばってた。すごい泣けた。

二宮くんがんばれ~~~!がんばって~~!(号泣)

もう自分でも訳が分からなかった。あんなに目に入れないようにしてきたのに、他のゲームではそんなに何も思わなかったのに。今考えたら若いお姉ちゃん(Perfume)にいいとこ見せたかっただけかもしれないのに。潤くんのワイヤー引っかかった時の咄嗟の判断とか、本当にさすがだし、もう、ああ、二宮くん、、、って思った。

 

ごめんなさい。もう何が何だかわかりません。

でもやっぱり私は、アイドルとしての「二宮和也」が好きみたいです。

アイドルにはいろんな形があるし、目指すところも、今いるところもグループによって、人によって違うと思う。

私は、「何があってもこの人を応援し続ける」とはもう言えないかもしれません。

汚いことは見えないところでだったらいくらでもやっていいから、お願いだから、見えるところではキラキラしていてください。見えたときに汚い部分を思い出すようなことはしないでください。お願いです。好きな気持ちを素直に言えないのは苦しい。

嵐の目指すものが明確に見えない。これは嵐本人も見えてないのかもしれない。トップにい続けることは簡単じゃない。でも見えないから、上を目指そうとはっきり言えることは、ある意味強みかもしれない。アリーナからドーム。ドームから国立競技場へ。紅白歌合戦出場、司会、トリ、大トリ。着実に階段を上がってきた今だからこその悩み。贅沢な悩み。着実に積み上げてきたからこその悩み。

 

まとまらないけど、3000字近くなったので止めよう。生きてる人間を応援してるんだから、妄想ばっかりしてないで、楽しく応援できるように、頑張ることを頑張ってみようと思います。

嵐さんの新しい情報が出なくて、貯金残高増えていく!調子はどうだ~~~?!こっちはもう準備できてるぞ~!エイトはもうある程度覚悟しているけど…調子はどうなんだ~?!諭吉はもう準備できてるぞ~~!

「にのあい」について語らせてください。

 

nmars.hatenablog.com

まあ、書き足りない。もやっとした感じがこの短い(?)紹介文を書いたことでより強まってしまった。にのあいってこういうことなんだけどそんだけじゃねえんだわ…。みたいな部分がたっくさんあるし、自分の語彙力の低さを改めて痛感した。

ので、タイトルの通り、勝手に語らせていただきますね。

まずは多分10000番煎じくらいだと思うけど、歴史を振り返ろう、そうしよう。歴史振り返りながら語っていこう。そうしよう。既出のものを自分好みにまとめ直しているだけです。

 

にのあい=二宮和也×相葉雅紀

(相葉さんのほうがパワーバランスが優る的な意味合いで「あいにの」と呼ばれることもあるけど、にのあいの方がよく見るような気がするので今回は「にのあい」で。)

ジュニア時代、二人ともが総武線を利用していたため、「総武線コンビ」とも呼ばれる。 

 

1:出会う

 

二宮が1996年の6月、相葉が8月に入所。

初めて出会ったのはレッスン時。お互いを「自分より年下に見えた」と語っている。当時バスケをしていた相葉はバッシュを履いており、二宮も色違いを着用していた。

初めて話したのは「HEY!HEY!HEY!」の収録見学の際の行き帰りの社長の車の中。同じ方面に住んでいることが分かり、レッスンの行き帰りを共にすることが多くなる。

夏休み、遊ぶ約束(?)をしていたが電話に出ない相葉を迎えに、相葉宅を訪問した際の出来事を割と最近でも話している。

WU 1998.11 close to you

 

ふつうね、ふつう、何十人といるジュニアの中でさ、ひとりの男のスニーカーがどうとか覚えてます????

時間にルーズって切り口から、家に遊びに行ったことをしっかり強調してくる二宮和也、変わらねえな!って思いません???

それでまあ、シンメ組むやん。

二宮 滝沢 相葉

この並び、この時代の雑誌やらテレビ、死ぬっほど出てくるので見てみてね。

 

そしてみんなだいすきピノのCM、ぶぎだん(Do you wanna feel like dancing)

ブギダンダン ブキダンダン ブギダン 踊ろうよ~♪

前も書いたけど「B.A.D.」と聞くと中間&桐山(現WEST)を思い出す人多いけど、彼らは実は5代目で、にのあいが1代目。

B.A.D. - Wikipedia

シンメ時代のふたりのダンス、もちろん今より技術では劣るけどなんか私はすごく好きなんですよね。“ふたりで踊ってんだ”感が強くて。一人で踊るより力が発揮されてる感じがたまらない。

相葉くんは天然もあるけど人見知りだし今より全然しゃべらなかったり、二宮くんもぼーっとしてたり割とやる気ないキャラみたいな立ち位置(あいまい)だったけど、当時からお互いに真面目とか、根はいいやつ、みたいな努力してるの知ってるから重みがある言葉を割と言ってる。お互いのことを「相方」って呼んでるのすごい。

舞台「Stand By Me」出演者4人でMAIN(松本・相葉・生田・二宮)ってユニットで活動することが増えても、相葉ちゃんと一緒にいるのが楽って…。二宮くん…愛が深い…。

当時の二人の相思相愛具合は、後輩にも語り継がれている。二宮がいたら隣には絶対相葉がいる、みたいな関係性になりたいってコヤシゲが言ってるの見て私は泣きそうだよ。

因みに二宮のファーストキスは相葉が奪った。事故。(二宮談)

二宮がドラマ「天城越え」の撮影のため、約2週間伊豆に滞在していたが、「夜が暇でジュニアが恋しい。(誰を連れて行けば楽しめる?に対し)相葉くんはいい話し相手になりそうだけど文句が多そう」と発言しており、相葉も「いつも一緒だったパートナーがいなくて変な感じ。電話はたまにかかってくる。」とインタビューに答えている。

お前ら・・・。

まあ、何より注目してほしいの電話をいつもかけるのは二宮で、すっごい相葉を欲しているのにいざ相葉の話になると「文句が多そう」とかぬかしやがるところですね。サイコー。

 

2:デビューする

嵐のメンバーとして、櫻井・二宮・松本が確定したのちの社長

「なんで相葉がいないの?かわいそうじゃん!」

相葉ちゃんがパスポートを持っていてよかったなあ、とつくづく。

 

エピソードをいくつか。

(二宮→相葉ばっかりになっちゃった)

 

・二宮、もともと記憶力はいいほうだけど、相葉さんに関することになると特に、もしかして二宮くんってメンヘラな彼女なの???って思っちゃうくらい覚えている。時に相葉本人の記憶を呼び起こす役割も果たす。

例えば「こたつde嵐」内での「15年目の告白」企画の際のこと。「孔雀をつがいで飼っていた」の相葉の告白に全員が引いた時、「相葉」「ペット」で二宮くんはすぐに相葉父が可愛がっていたキバタンという鳥の話をする。相葉ではなく二宮がする。自分のことのように嬉しそうに。

 

・2002年くらいかな?相葉ちゃんが肺気胸で入院してからかな〜と思っているけど。自分の弱みをあんまり人に見せないとか、極限まで我慢してしまう部分が元より強くなったと思う。二宮くんの言葉を借りれば「気にしい」な彼だから、心を開ける相手はとっても大切。

あぁ〜もう結婚しろよな!

 

・かの有名なDの嵐最終回、ピーマン潜水。記録樹立後の二宮。

「2分18秒はすごいよ」

(*‘◇‘)「ヤッター!」

「お前、我慢しすぎなんだよ!(半ギレ)」

相葉「ゴメン、、、」

もうこれはもはや伝説。

 

・「自分の服は全然買わない、2~3年買ってない。」と2~3年言い続けた二宮くんでしたが、「デビューしてから〇〇年、相葉くんとはもう〜年くらい付き合ってるんですけど(意訳)」の年数の正確さたるやね。だいたいデビュー+4年できっちり。20年おめでとう。

 

・付き合いたい、結婚したいメンバーは?の質問は死ぬほどされてるけど大体二宮くんは相葉くんを選んでる。選ばない時は代わりに一緒にいた人しか知らない=俺、相葉さんのことめっちゃ知ってるから(バカだから、うるさいんだよね)みたいなネタを挟んで自慢してくる。相葉くんは二宮くんを選ばないことが多い。ふふっ。

 

・相葉くんの涙腺が緩んでいるとき、たぶん誰よりも気を張ってるのは二宮くん。いつでも笑いに変えられるように待機してる。本当は本人よりも泣きそうなんじゃないかと思ってる。

 

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 ふたりが離ればなれにならなくてよかった。

まあこのふたり、同じグループじゃなくても一緒にいた気がするけど。

 

相葉くんが他人のことを「お前」と呼べるのは二宮くんだけ。二宮くんの言う通り、相葉くんはもちろん本当に優しい人だけど、 私は二宮くんも死ぬほど優しい人だと思う。相葉くんもそう思ってるはず。

お互いがお互いの弱い部分を守って、相手のために戦ってる感じ。

 

さいごに

(.゚ー゚)「相葉くんは天真爛漫」

多分だけど、そういう面ももちろんあるけど、そんなイメージ強いけど、そんなことない。二宮くんはきっと、誰よりもそのことをよく知ってる。

「相葉さんいつもテンション高くないよ」「辛い時は必ず言ってください」とかね、天真爛漫という言葉が100%当てはまるか?と言われるとそうでもないと思う。でも相葉くんは大衆の前では特に、天真爛漫で天然で、ちょっと心配になっちゃうようなキャラクターであるっていう部分と、それが相葉さん自身の理想の世間のイメージであることを理解した上での発言なのかなあと。愛ゆえの。

 

毎日のように一緒にいる彼らだから、これからもたくさん楽しいエピソードを教えてくれます。たのしみだ。

これからもずっと一緒に歩んでいってください。

「嵐」の時代

自分でも、まさかまた嵐のことを書いてみようかなという気になるとは思わなかった。

応援したい気持ちと、このままじゃダメじゃないかな、っていう気持ちと、ごちゃごちゃしてしまっています。個人の意見ですので、お願いだから石を投げないでほしい。

嵐がレギュラー番組3本、「嵐の宿題くん」「ひみつの嵐ちゃん」「VS嵐」、を持っていた時期の嵐がすごく好きだった。

嵐の宿題くんは、特に、ファンが見たい嵐だったと思う。みんな今でも大好きだから。
嵐はいい意味でも悪い意味でも「優等生」って世間からは見られがちだし、本当に優等生だと思うけど、そんな彼らのほんとはこんなとこあるんやで!的な番組。(実際は時系列は逆。アホみたいだけど仲良くておもしろいってところから、2007~8年あたりに認知度がめっちゃ高くなって世間からはそう見られてるみたいな。)

たくさんの人が見てる、自分たちのことを知ってる上で、どう見られるかを考えた言動をしなければいけないっていう意識が、2007~9にかけてすごく強くなったように感じてる。「国民的」アイドルとして、どう振る舞うのか。彼ららしさというよりは、キャラクターにより忠実に、という感じ。それが意識下か無意識のうちのものなのかはわからないけど。

多くの人たちが彼らのことを知って、大抵の人が好印象を持つ。キャラクターもしっかりしていて、〇〇のひと、とお茶の間でも当てはめやすく、とっつきやすい感じが、嵐のファン層の広さとファンの多さ*1に繋がってると思います。

だって、ここまでひとりひとりが活かされてるグループ、あんまりないと思う。


大野智は歌が上手いしダンスがすごいってわかるし、絵もうまいんだって。嵐のリーダーなんだなって。

櫻井翔はニュースに出てる人だな。司会でよく見るな。慶応卒なんだ〜頭もいいんだね〜。

相葉雅紀はバラエティ。志村どうぶつ園にでてるおにいちゃんだよね。

二宮和也はドラマでよく見るな。ハリウッドいったな、アカデミー賞とったな、マジック好きのゲーマーだな。

松本潤は顔濃いな。花より男子の道明寺だよね。ごくせんもでてたね。みんなが知ってて、あ〜!みてた!好きだった!ってなるドラマにでてるよね。イケメン俳優と仲いいよね、って。


茶の間ファンでも、この程度の情報は大概知ってるし、みんなキャラがかぶってないのが凄み。この人たちが売れた理由もなんとなくわかるし、売れてよかったなと思う。

彼らがよく使う言葉に

「今の嵐」

がある。

同じ所に留まっていたら沈む恐怖と、彼らは常に戦っているんじゃなかろうか。

売れない時代があったからこそ、何か改革を起こさなければ!と翔潤が立ち上がった時にそれを止めた大野智がいたからこそ、積み重ねと変化を大切にする内弁慶な5人だからこそ、恐れている。

2013年の年の瀬、二宮和也スタジオパークからこんにちは出演時に話した、「引き際は自分たちで決めたい」の言葉の真意を、「落ちる前に辞めたい」だと思ってしまった私は、ファン失格だろう。だって、落ちてから引いたら辛いから。苦しいから。

2008年頃からアイドルとして、タレントとしての地位を確立してきた彼らに 、2012年、横山裕は「嵐っていつまで人気あるん?」と言い放った。(2012.7.26OA ひみつの嵐ちゃん ベッキーゲスト回より)
当時の私が、ああ、確かにそうだよな。いつか落ちる日が来るのかな、来ないでほしいな、とぼんやり思ったのを覚えている。私は、トップ爆走中であるという事実を含め、嵐が好きだったんだと思う。誰も追い越せない、絶対的トップ。トップという立場にありながら、その立場に甘んずることなく、より良いものを求めて新しいことを始める彼らがとても素敵で、大好きで、誇りだった。


アイドルをやっていれば、誰だって思うこと。「トップになりたい。」
トップになれば思うこと。「このままでいたい。」

正直嵐は売れすぎた。

売れるに越したことはないんだけど、矛盾しているけど、そう思ってしまう。
今の位置を維持し続けることはもちろん、彼らが良いものを残し続けているということかもしれない。だけど、多分、少し違う。

「トップに居続ける=良い結果を残し続けている」

は必ずしも成り立つとは言えない。これがもし研究者とか、そういう部類の話だったら、この等式はあながち間違っていないのかもしれない。でも、

彼らは、あくまでも、アイドルだから。

必ず、彼らの作品を応援する『ファン』という存在がいるから。彼らのことを応援しているから作品は買う、ということが日常になっている人がどのくらいいるのかはわからない。でも、物の良い悪いに関わらず購入する人は必ず一定数いる。そのファンを、本当に大切にしてほしい。

売れない時ほどアイドル本人は、このことをすごく理解していて、大切にしてくれる。ファンもその気持ちが伝わるから、応援を続けられる。
売れるとファンは嬉しい気持ちと、今まで応援してきたアイドルが、自分の手を離れて、遠い存在になったような気持ちとで苦しむ。そんな時に、アイドルがファンに寄り添ってくれたら。応援し続けたいと、きっと思い続けられるだろう。

ファンからの応援はただの好意では成り立たない。お金と時間のかかる、支援である。そのことを改めて、考えてほしいな、とついつい思ってしまう。

ファンクラブに重複して入っている人がいることはもちろん知っている。それが本来禁止されている行為であることも知っている。
人数が多くて、全員が必ずコンサートを見に行けない現状も、理解できる。

でも、だからこそ、頑張ってほしいと思ってしまう。初期からのファンが離れている今の状況、CDショップに初回限定盤が残る状況、割引対象外が対象内になった現状。きっと、勘のいいあなたたちだから、全く知らないわけじゃないでしょう?それとももう、今を「引き際」だと考えているの?引き際だと思って自ら引こうとするアイドルを応援できるか私は心配です。


もし嵐がトップの座を譲ったとしたら、本人は何を思うんだろう。ファンは何を感じるのだろう。

がっかりするんだろうかと思ったけれど、安心してしまいそうな自分もいて、正直とても恐ろしい。


上から見る景色を、「台風の目」って言ってたけどきっともう雲は晴れていますよね。
「次の一手」とやらを、いちファンとして、心から待ち望んでいます。*2

*1: FC会員数 200万人越えで、全ジャニーズグループトップ。因みに2位は関ジャニ∞で53万人程度。(2017年2月)

*2: ハワイドキュメンタリーより

どうしたらいいのかわからない時は文字に起こすのが一番早い

本の多い生涯を送ってきました。

自分には、文字のない生活というものが、見当つかないのです。

いつも本に囲まれて生きてきました。
お母さんとお姉ちゃんと行くところは図書館か公民館の図書室で、毎週返却のために図書館に行って、帰るときにはまた新しく借りた本を読むのを楽しみにしてた。
漢字は一通り読めたし、書くのも苦ではなかった。国語は得意だった。作文はノリでかけた。読書感想文が賞に選ばれた。中学3年間選ばれた。初めてのことだったらしい。小論文で大学に入った。気持ちが溢れた時は決まって、メールを送った。ブログに記事を書いた。SNSに投稿した。


いつも私の気持ちは、まっすぐ伝えきれなくて、文字に乗って、やっと届く。


私が文字を書くときは、何か明確に伝えたいことがある時はもちろんだけど、何か伝えたいことがあるんだけど、どうにもこうにも表現出来ないときでもそうだ。言葉にしようとしたらわからない。でも文字を書き始めたら手が止まらなくなる。できた、と思って読み返してみると、意味はわからなくないけどぐちゃぐちゃのものができる。人に読んでもらう時はそれを推敲しないといけないけど、私は私のために文字を書くから、自分の言いたかったことはこういうことなんだなっていう雰囲気を書いたものから読み取れる時点で文字を書く作業は終了する。極めて自己満足の世界。


みんなが作文を嫌がる横で、一番に仕上げて本を読むのが好きだった。「もうできたの!?」の言葉が好きだった。文字を書くのは楽しい。作文なんて自分の気持ちはほとんどない。「〜を読んで、人生が変わるくらい感動した」っていう気持ちを設定して、最初の一文で自分のものにする。それっぽく、オシャレに書き始めれば、すごく楽しく終えられる。

『私の人生はきっと、今日、この本を読み終えた時点から新しい展開を迎えるだろう。』

いやどんな本やねん(笑)と少し笑いながら。それっぽく。

季節ごとの行事が終わるたびに感想文を書いていた小中学生、現代文の単元ごとに感想文を書いていた高校時代、難しい現代問題に自分の意見を書き続けた入試前。それらの工程を経て、改めて私は文を書くことが楽しくてしょうがない。今は文を書く機会が著しく減ってしまって、正直恋しい。レポートは少なからずルートに沿って書くから面倒くさい。もっと、面白く、格好つけて、書きたい。


作文ロス、だな。

楽しい世界です。文字を、文章を書くことはとても楽しい。書いてるうちに自分が何で苦しんでいるのかなんとなく分かってくる。そして今もそうだけど、私が文字を書くのは逃避行動の一種なので、大体テストが近い。

このブログも、誰にも見せずにやってきたけど、何となく見せてみたら何となくおもしろいって言ってもらえて何となく見せてる。

このブログみたいな、みんなに見せていないようなもの、言うなれば爆弾を、私はたくさん持っています。

友達に言えないようなこと、たくさん見えないところでやってるって、たのしいよ。でもたまに見てもらって、評価を受けるのもたのしいよ。


私のストレス解消法は、運動でも買い物でもなく、文字を書くことなんでしょうな。聞いた感じがただのネクラなので、ここだけの話にしといてください。

とってもたのしかった。

これも自己満足の世界。