アイドル依存(2)
(1)でも書いたように、私は二宮くんの一件から、以前と同じように、二宮くんを、嵐を手放しで応援することができなくなりました。そんなことだけで?と言われることもあります。というかその方が多いくらい。でも、そんなことなのです。それでも、そんなことでも、私のような、生きていく上で必要なことはアイドルから全て与えてもらっているような人間にとっては、死ぬまで応援し続けると信じて疑わなかった私のような人間にとっては、多分、この瞬間だけで言えば、自分の将来がどうとかよりも、もっともっと重大で、辛くて、悲しいことなのだと思います。
8月24日。実家に、あの日が来るまで心から楽しみにしていた受験で応募さえできなかったJaponismのブルーレイディスクが届きました。多分、以前までの私であれば再試がなんだろうと、届いた日に、夜中まで時間がかかろうが、みたはずです。でも結局その日は当分来ませんでした。
ここで、嵐さんから関ジャニ∞へ移りそうな自分の気持ちを考えてみたい。
多分私は、やる気とか生きていく上で活力になるようなこと、感動すること、そういったものを充足する上で、アイドルが必要不可欠になっているのだと思います。きっと嵐から気持ちが離れそうになった時に、他に打ち込めるようなものがアイドル以外であれば、そちらに気持ちも、時間も、お金もかけられるようになっていたのだと思います。でも私は怖かった。ジャニーズが大好きな私自身を否定するのも、私が二宮くんを大好きだと信じて疑わない人たちに愛想笑いするのも、ジャニーズが好きで繋がった友達を失うのもアイドル以外の新しい、いわゆる代わりを見つけて楽しくなるのも。「今まで」を否定するのが嫌でした。本当はこういう風には考えたくはないんだけど、ある意味私は逃げたんだと思います。ジャニーズが好きな自分を否定することから逃げました。関ジャニ∞は知れば知るほど好きになります。彼らへの愛も、私の中では嵐と同じように注いでいます。でも、多分、その時に興味のある何かであれば誰でもよかったのかもしれません。アイドルなんて虚像だってことは、きっとファンはみんなわかっているつもりなのです。それでもみんな、信じたくなるのです。かっこよくて、個性的で、何でもこなせる彼らに、夢も希望も期待も、背負わせたくなるのです。
つづく
アイドル依存(1)
新生活がスタートし、忙しい忙しい上半期の生活と並行してオタクとしての生活も確立されてきた7月。事件は起きた、、、
二宮 熱愛
ああ、またか…とか夏の風物詩とかいう人もいるけど、やっぱり心中穏やかではいられない私がいた。最初は七夕だったな、たしか。なんか、うん。やっぱり何回目でも慣れることはないし、本来慣れるべきものではないんだろうなっていうのを再確認しました。
だいすきなのに、ほんとうに…?という気持ちが先行して、私たちの思い描いていた彼とのギャップを受け入れられないファン心。今回のことは、公式の発表がされる前にファンの人がどんどん足跡見つけちゃって、いや、もう否定も何も本当のところが知りたいだけなのに担当者はいつまでも不在。
最初はすこし、無理してでも彼のことを受け入れようって思いました。10年近く彼を応援してきて、ちょっとやそっとじゃ彼への思いは変わらないって思っていたから。FNS夏のうた祭りで、彼の素敵なところも見れた。でもなんだか、直視できなかった。ホンマでっかTVで、結婚のこと聞かれた時、顔を真っ赤にしてしまう彼のこと、本当に応援していたつもりだったのに、不信感と嫌悪感が募ってしまったことがすごくショックでした。
「アイドルなんてただの虚像だよ」って三宅健くんが言っていたけど、そりゃそうだってわかっていたつもりだけど。私は割と二宮くんはそんなにオンオフ激しくなくて、TVで見るような二宮くん、みんなの、キラキラしたら二宮くんであってほしいって望んでしまっていたのかな、と少し反省しました。
ジャニーズ好きになると、日々更新される情報を楽しみに生きてる気がする。もうそれは生活の一部だし、新しい活動や定期的な活動を喜んだり楽しんだりすることで、成り立っていくように意図せずして組み込まれていく。翔ちゃんも二宮くんも、俺らを生活の中心にしてほしくないって言っていたけど、実際そうなっている人は少なくないはず。
でも今、少し二宮くんから遠ざかっている気がします。
過労死だけは勘弁
「こんなに幸せで大丈夫??????」
多分同じ想いの人(特に二宮担)は大勢いると思う。いやでも、このフィーバーの最初の方は
うわ!また来たよ!ヤッターーーーー!
みたいな